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遊び上手な幽霊たち |
17世紀の終わりには、裸のサルの世界固体群はわずか5億であった。1960年代の今では30億に上昇している。(2005年でなんと72億だ!)そして24時間ごとに、さらに15万ずつ増えている。(惑星間移民論者も、この数字を見ては闘志がにぶるだろう。)もしこの増加率がこのまま続けばーー それはありそうもないがーー260年の間に、地表には4000億の裸のサルの騒然とした群れが出現するだろう。この数値は全陸地面積を1平方マイルあたり、11000固体の密度でおおうことを意味する。言い換えれば現在われわれが主要な都市で経験している密度が地球のすべての地域に存在することになる。このことが野生動物に与える結果は明らかである。われわれ自身の種にとってもそれは同じく憂鬱なものだ。 私たちはこの悪夢の世界に住むことはない。この可能性が実現するのは遠い先の話だ。この本の全般を通じて強調してきたように、われわれは偉大な技術上の進歩にもかかわらず、まだきわめて単純な生物学的現象である。壮大な理論と強い自負心にもかかわらず、われわれはまだ、動物行動の基本的なすべての法則に従っているつまらぬ動物である。固体数が今示した値に達するずっと以前に、われわれはわれわれの生物学的性質を支配している法則の大部分を破らざるをえなくなり、そのことはわれわれの優占種としての地位を崩壊に導くだろう。われわれには、このようなことは決しておこらない、われわれには何か特別なものがあると考えたり、何か生物学的なものを超越したところがあるのだと見なす強い自信に満ちた傾向がある。けれど、そうではない。過去において、多くの魅力的な種が絶滅していった。われわれも例外ではない。遅かれ早かれ、われわれも絶滅し、何か他のものに道をゆずる。もし、それがかなりおくれてやってくれば、われわれは自分自身を生物学的な対象として、それだけ長く、きびしく見ざるを得ず、われわれの限界についてある理解をえるだろう。これが、わたしがこの本を書いた理由であり、われわれ自身について、もっと普通に使われている名を用いずに、裸のサルという侮辱的な名を当てた理由である。このことは、感覚の釣り合いを保つ事を助け、われわれの生活の表面直下を流れるものを考える手助けとなる。話に熱中し、おそらく私は自分の説を主張しすぎたかもしれない。他にも引用すべき多くの立派な説や業績がある。それらを除外したことによって、私は当然一方的な描写をした。われわれはすぐれた種であり、私もそれを否定したり、値打ちを下げようとは思わない。けれどそうしたことは絶えず言われている。投げられたコインがいつも表を向くようだったら、私は潮時を見てそれをひっくり返し、他の面も見たいと思うだろう。不幸なことに、われわれは他の動物に比較してあまりに強力で繁栄しているために、自身のいやしい起源を注視することは何か不快なものを呼び起こす。だから私は、この本で自分がしたことに対して、感謝されるとは思っていない。われわれの今までの進歩はまさに立志伝だった。だから、他のにわか成金と同様、自分の出身についてはとても神経質になっている。だがわれわれはそれをついうっかりもらしてしまう危険が常にある。 われわれは高度な知性と、強い発明の衝動をもつように進化してきたから、自分の利益になるどうのような方向にでも向きを変えることができると感じる一部の人々は、楽観主義を表明している。彼らはこう主張する、「われわれはきわめて融通がきくから、急速に生じるわれわれの種の新しい問題を解決するために、すべての要求に生活を適合することができる。時が来れば、われわれは、過密やストレス、プライバシーの喪失、ばらばらな行動をうまく処理できる。われわれはわれわれの行動パターンをつくりなおし、巨大なアリとして生きてゆける。われわれは攻撃計画、なわばり感情、性衝動、親としての性質を制御できる。われわれは養鶏場のニワトリのようなサルになる必要があればそうなれる。われわれの知性は、われわれの全ての基本的な生物学的衝動を支配できる。」 わたしはこうしたことは馬鹿げた考えだと申し上げる他ない。われわれ生身の動物としての本質はけっしてそれを許さないだろう。もちろん、われわれは融通がきく。もちろん、われわれは行動上の便宜主義者だ。けれど、われわれの便宜主義が通用する範囲には厳密な限界がある。この本では私は生物学的な特徴を強調することによって、こうして限界の本質を示そうと試みた。それを認識し、それに従うことによって、われわれは生存のチャンスをずっと増大することが出来る。このことは素朴な”自然に帰れ”を意味するのではない。それは単に、われわれの知性の便宜主義の進歩を、われわれの基本的な行動上の要求に合わせてゆかねばならぬことを意味している。われわれは何とかして、単なる量的な改良よりはむしろ質的な改良を行わなければならない。もしわれわれがそれを行うなら、われわれは、進化によって獲得した遺伝を否定することなく、劇的ですばらしい技術の進歩を続けることが出来る。もしわれわれがそれを行わなかったならば、われわれの抑圧された生物学的な衝動はドンドン蓄積され、ダムは決壊して、われわれが苦心して作り上げたすべてのものが洪水となって流れ去ることであろう。 「裸のサル』8章 動物たち デスモンド モリス 1967 =================================================================== 40年前のモリスの警告と予測は、残念ながら良い方向に進んでいるようには見えない。アジア、アフリカを中心に西欧型資本主義は拡大し、人口の爆発的な増加と楽観主義者の予測する抑制的コントロールは西欧を中心に厳しく実行されているにもかかわらず全体では一向に効果がないようだ。人類は結局、全体としては階層化するという方向で、世界中でいくつかの層に事実上分離を始めているし、それによる緊張と対立が現在のいたるところ国家、地域、職域、学校などで生まれている。彼らはすべて差異化して中心と差縁に分離していく。相場師などは中心にいる人も多くいるのだが、中心でさえ忙しく厳しいゲームをした割には快適とは言い難い見返りの少ない果実にうんざりとしている人が多いようだ。求めている果実の種類を彼らは多分まちがってしまった事に気がつくと不思議に相場師になろうとするのかもしれない。(笑) 政治家や軍人ではない我々個人として、戦争による人口の減少以外に出来ることはさて何があるのだろう?倫理よりもヒューマニズムよりも生存のための本能のほうが強い種であることは裸のサルとして我々も例外でない。だから戦争が起こって人口の減少が周期的に起きて来たのは必然だったし、今後も規模の差はあるにしろそれは起こると考えるほうが自然である。出来るなら自分と無関係の遠い場所でそれが起きることを望みたい。その意味で反戦論というのも空虚な響きに聞こえてしまう。日本だけの話ならむしろ早く核武装したほうが安上がりに生き伸びることが可能なのかもしれない。抑止力を国際善意に頼っても、最後は人類という裸のサルの本能の衝動に必ず負けると個人的には思う。
時が来れば、われわれは、過密やストレス、プライバシーの喪失、ばらばらな行動をうまく処理できる。われわれはわれわれの行動パターンをつくりなおし、巨大なアリとして生きてゆける。われわれは攻撃計画、なわばり感情、性衝動、親としての性質を制御できる。われわれは養鶏場のニワトリのようなサルになる必要があればそうなれる。
日本人は多分世界で一番勤勉で真面目な国民の一つだから、楽観主義者のいいなりどおりのライルスタイルをいち早く採用して最先端を突っ走っている国家的環境ファシストだなと苦笑気味に感じるのは僕だけだろうか?それでも量の問題を解決するのは個人で出来ることは無いこともないのだろう。量的な蓄積に突っ走るという行動の動作を止めれば良いのだ。つまり働くことを減らして遊ぶことを増やす。生物学的な衝動の蓄積こそリスクであるなら、適当にガス抜きをするほうが長持ちするという事でもある。養鶏場のニワトリや巨大なアリとして生きるのは事実まったく楽しくない。キリギリスのように遊んでみることも必要ではないのか。それで冬が越せなければそれまでの話である。ねこ塾でプロ相場師になろうとする人たちは社会の中核部分で経済的な蓄積を経験した人が大半である。彼らは楽観主義者の語る不愉快なライフスタイルの忠実な実践者たちであったし、現在も多分そうだろう。その彼らもそのスタイルの実践の先にあるものを予感しているのだ。つまりいかなる生物学的な幸福もそこでは待っていないことに、、。 未開人は天才だっと思う。生存のルールを本能が知っていた。つまり動物としての本能が生存を優位に導くことを信じて疑わない優占種としての供儀の行動習慣をもっていたのだろう。現在はそうした供儀の習慣を放棄したから不幸が増えたということだろうと個人的には思う。すると資本市場のやりとりは人気の取り合いであるから、合理的なヒトという動物に残された最大に遊技場であるのかもしれない。そこで供儀の最大の儀式が毎日行われてると考えれば納得がいく。人口の爆発は止まらないから、今後当然地球資源は不足して、政治家は資源のバイヤーである。ブッシュも温家宝も力ずくで石油を買いまくる。阿部チャンもガンバレ!ということで資源が不足すればインフレになる。だから円は安いのは当然か。それでも資源は資源のままでは使えない。製品化する行程を必要とすれば日本の出番はまだたくさんあるだろう。銅を買え。アルミを買え。鉄を買え。亜鉛を買え。ステンレスを買え。そして不動産と鉄道と機械と船を買え。そういう人気のお祭りが今後さらに大規模なスケールで始まるのだろう。叩かれた低位株の出番は近い。
相場師はなに一つ作り出さない商売であると言う点では、地球環境にとっては皮肉にも無類にやさしい。彼は素敵な生き方の豪華な時間と悦楽の奴隷である。(笑)彼は人気という資本市場の幻想の中から鞘という食べ物をかすめ取る遊び上手な幽霊である。かってマルクスはこう言った。 “ヨーロッパを幽霊が徘徊している。共産主義という幽霊が、、” |
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ブログから日付と時間が消えたようですね。 復活して頂けると嬉しいです。 |
名前: jukusei ¦ 02:01, Tuesday, Apr 17, 2007 ×
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