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不良少年のパラダイス |
4月特訓コースを終えて 日曜日に東京の特訓のメンバーと個別の面談をした。彼らは固定した銘柄を、毎月分割の練習をしている。始めてまだ半年ほどだから、上手い人以外は慣れがまだ出来ていないので、少々の押しで小さな損切りが続くと手が縮じむという経験を大半の人がする。鞘がつまった底付近の小動きは、一月の変動値幅は大きくないしその少ない20−30円の幅で2分割をすれば、誰がどう上手く買っても真ん中から平均を大きく下にするのは困難である。だから利食いにしたければ、すこし応用してシンポで出ないで、月の前半の10日ぐらいまでの日柄で、新安値3−5本とか陰線が連続して3日続いた後に−1と試しを入れるような買い方が良いのだと繰り返ししていると気がついてわかるようになる。そこで止まれば増し玉しないし、更に押したら買っても良いし、切っても良い。シンポで買って下を入れても利食いにならないという事実は、まだ底の弱いもちあいで上げ調子ではないというのが結果が証明していると後でわかるのだが、それを目先の小さな損益でいらついたり、どうしてもムキになって強引に利食いに持ち込もうとすると感情的な売買に崩れて行き、さらに変になってしまう。結果は大抵損が拡大するという事になるのだ。ゴルフ代やエステ代ぐらいはすぐに飛ぶ。それを3月も続けると嫌になって練習をしなくなるという進み行きに一時的になるのである。小さな転落の経験をして果たしてこれで自分が上手くなるのだろうか?と方法を疑ったり大ゲサだが心理的な不安に苛まれる。一大決心をして基礎の練習を始めたが、根気の質を現象と結果から逆に問われるということがこの時点で起きるということになる。それでも愚直にどうすれば良いのかというのは、コースに出て上級者や慣れた人の実際の売買譜を見る事でヒントがあるのだし、大抵丁寧に次はこうしてごらんというようなアドバイスを貰えるという点では生徒は恵まれているのだ。実際の相場でそのような他人を利するような具体的な行為があるわけがない。相場は人様の懐から合法的にお金を引っ張って来るゲームなのだ。
基礎とはつまりまず自分がいかに下手か、つまり行動の質が悪いかを強く認識するための練習なのである。いかに(安値を)当てようとしているか、そしてそれは外れるかを自覚する練習でもある。当てるのではなくて相手の動きをじっと見ていて下げ止まったのを感じて反射する(この場合は買う)という行動に質的に変化させる練習なのである。同じ現象に対して、行動の質が個人で異なるということを経験すると、自分のひどさを知れば大抵の人は売買が謙虚に地味にならざるを得ない。肚の底からそれがわかれば自分なりの力量でしか相場は張れないし、取れないのだということが分かる。幸運を期待してもその幸運に乗る腕こそ重要だということがたったの2枚で思い知る。行動が控えめにゆっくりに変わって行く瞬間がそのうちに訪れる。そうしない限り永久に毎月のエステとゴルフは遠ざかる。(笑)しばらくすると損が減るからトータルの利益がそのうち改善してくるというプロセスを踏む。 ここまでは、意地が悪いのだが僕は予定調和でカリキュラムの中で予定に入っている。たった2枚の分割で、しかも方法を教えて鞘のつまった安全な状態の練習でさえ、人間は小さな利益にこだわって大きな失敗を犯すことが当たり前に起きる。それも自分がそうなるのだという失敗の経験をさせるためにしている練習なのである。相手の状況が、けっして面白くない状態の時は、面白くなるまでじっと我慢して休むか、待つという行為が上手いという事が分かれば、相場師の仕事の時間の大半がそういう時間になるという事は、長期のグラフをたくさん書いた事がある人なら馬鹿でもわかるのだが、いざ自分が1枚でも試しを建てるという状況になると冷静でいることがいかに困難かというのをしてみた人は経験するのである。相場の上達に時間がかかるというのは、こういう失敗の経験からしか行動の質を改善出来ない仕事なのであるという確固とした思いが強まらないと、一向に前に進めないのだ。だから上達を急いでも無駄である。自分なりに一歩ずつ進んで行くしか無いのである。
学校教育を始めとして、この国の教育というのは一部特赦な職能実地教育を例外として、合理的でスピーディーな問題解決をすべての教育の目的の主眼に置く。それは産み出される労働力が最初から分業による合理的生産に合致した方法論を無意識に選択するという必然を免れ得ない。したがって基本的には金太郎飴のような行動特性を結果的に付随することになりやすい。相場は人気で価格が動く、非合理的な市場特性を持っているのから、合理的な教育に慣れて、しかもそれに長けている人ほど損をしやすいという仕組みになっている。相場の成功者の割合が長期では2%とも3%ともいわれる少なさは、実は学校教育とその必然としての行動特性にあると言っても過言ではないと個人的には思うのである。不良少年のパラダイスといったら言い過ぎか?(爆)
ということでコース終了後、さる美女とデートをした。人妻というのが言語的には淫らで素敵である。彼女のダーリンも塾生であるからきちんと許諾をとっているところが現代女性の立派なところである。「なんか文句あっか?」という感じなのだ。彼女は銀ラメのゆらゆら揺れるパンツで登場された。胸の窪みを深く切り込んだライムグリーンのニットから覗く胸はどうしても対座姿勢で着席すればそこに目が行ってしまう位置にある。というのも松下の小上がりのテーブルはあまり広くはないから視線の70センチ以内にグラマラスな曲線が揺れるという♂には過酷な視覚環境なのである。嬉しいが辛い環境でまさにナンピンを迷う場所のような感じである。お料理はお上品で、アサリの茶碗蒸しと小鮎の唐揚げから始まった。箸があるのにちょんと鮎を指でつまんで食べ始める彼女はすっかりとリラックスしているようだ。こういう悪戯な目としぐさにダーリンはコロッと参ったのだろうなあとよからぬ想像をした。仲良く取り分ける形式でサーブは僕の仕事になる。後で知ったが酒量はねこ塾随一の飲んべえで軽く男を潰すらしい。ビールで始まって喉を湿めらすと白ワインに移った。ねこ塾のガールフレンドたちは教室では借りて来た猫だがデートでは僕が借りて来た猫になる。とにかく良く笑い、良く飲み、よく食べて、よく話す。彼女たちは御馳走デートが大好きなのが見ていてよくわかるのである。楽しいというのは心の有り様として、そのまま小さな幸せということでもある。僕たちは単純なそういう小さな幸せのために苦しい辛い仕事をするのではなかったか?だからつらく苦しい仕事は少なめにするのが良いのじゃなかったか?それには何もしないでその時間をじっと黙って待つのが良いのじゃなかったか? 都合3時間弱で彼女はたくさんのお話を僕に聞かせてくれた。大半はダーリンののろけであったし、彼女に限らず大のろけ合戦のようになることが事実多いのである。彼女達はほとんどがダーリンに全身でたくさん愛されている幸福な妻たちである。その幸せを吐き出すお相手に借りて来た猫は安全かつ便利である。男女間の役割の効用というものは、ただ単に生殖と性にあるのではないしそうした行為を伴わないでも脳内で彼女たちのエンドルフィンは多分上がっているのだろう。 感覚的に生きる、暮らすということはそういう幸せな体験の連続した地層を連ねていくことである。男と飯を食うとこういう話になることはない。自分の妻を褒める男は日本男児にあらずという有様で、オメーは江戸時代に住んでるのか?と思うほどだ。彼らに当分快楽の勝ち目は無いだろう。不良少年のパラダイスは当分続く。
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受信: 22:37, Monday, Nov 05, 2007
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