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なんとなくクリスタル? |
この場合、いずれの選択も全く魅力を持たないことは、一目瞭然だ。まず、前者である。知のための知などという安手なスローガンを今もって心を動かされる者がいようとは、とても思えない。あくまで虚学だと意識しているうちはいいとして、そのうち司祭のごとき情熱をもって自己目的化した知に拝跪するとなると、傍で見ていて肩をすくめてみたくなるのも無理は無い。しかし、そのようにして肥大した知が、しらずしらずのうちに社会の中で宗教的機能を果たし始めるという逆説にも、あなたは気づいているはずだ。それくらいなら、後者のように「たかが手段なのだから」といって知を相対化する方がましだろう。けれどもそれに対応する目的の方はどうなのか。知を手段として軽視するからには、ほかに重視すべき目的があるだろう。しかし、卒業のための進級、就職のための卒業と、手段ー目的の連鎖を追っていっても、目的はどんどん彼方へ後退し、あとには即時充足的な意味を葬った手段の残骸が連なっているばかり、無理に目をこらしてみても、官僚や医師としての成功、「なんとなく、クリスタル」な「アッパーミドル」の生活といった「幸せ」のイメージがぼんやりとうかんでいるに過ぎないのだが、その「幸せ」もなんだか「スプーン一杯」程度となると、いささか物悲しい話ではある。 してみると、これは極めて貧しい選択だと言わざるをえない。何と言っても、ことはスタイルの問題であり、あなたの感性はどちらのスタイルをも受け付けないはずだ。スタイルといい、感性といい、いかにも軽薄な響きではある。けれども、感性によるスタイルの選択のほうが理性による主体的決断などよりもはるかに確実な場合は少なくない。その意味で、僕は時代の感性を信じている。 浅田 彰 「構造と力」 千の否の大学の可能性を問う より転載 ===================================================================== 同世代のインテリの社会経済学、および社会思想史を研究する浅田は、なんとなくクリスタルでHな元知事の田中とTVなんかに一緒に出ていたが、ミーハーだが感覚的な部分を結構重視して物事を見ていた。この本は1983年だから、ちょうど相場で言えば80年代の上げ相場の始まりに出版されていることになる。一方マジな表現の植草大先生は手鏡ーパンツの法則で逮捕されてしまった。誠に男の鏡!あっぱれと言う他ない。お金払って見るのでは楽しくないのだ。スタイルの(痴漢という欲望のスタイルと感性の)問題に社会性を挿入すると教室で教える侵攻と禁止に触れて、自ら供儀にお供え物となる実験に見事成功された。誠に喜びに絶えない。 彼らの時代の空気、それは同時に僕の時代の空気でもあったが、物ごとを白けた目で見つつ、既成の文脈一切から離れて遊びつつ相対化してしまう、かと言って評論家化してしまうのはダサイから、要は、自ら「溺れる」世の只中をうろつき、危険に身をさらしつつ、しかも、批判的な姿勢を崩さないこと。対象と深くかかわり全面的に没入すると同時に、対象を容赦なく突き放し切って捨てること。同化と異化とのこの鋭い緊張こそ、真に知と呼ぶに値するすぐれてクリティカルな体験の境位であるとことは、いまさら言うまでもない。簡単にいってしまえば、シラケつつノリ、ノリつつシラケること、これである。
相場でマジな人をみると、「それもいいんだけれどもね、あなたがマジになればなるほど、多分損は増えますよ」とボクは憎まれ口を叩くのだ。ご本人様のお財布の中身の増減の問題は、個人的であると同時に相対的な事でもあるから、まああなた様のお金が減れば、誰か様のお金が多分増えている。(笑)それは誰だかわかんねーというのが市場というものの味噌なんだけど、マ、いっかー。それを何回も繰り返すとさすがに頭でっかちの馬鹿も財布の中身が軽くなると心細くなるんだろう、どうしたら良いのか教えてくださいと悲しい目をして見るのだ。僕は親切だからなんでも大抵は自分で出来た事は教えてあげるが、これは個人的なやり方ということですからねえー、好みというものがありまして、僕の場合はオネーチャンが好きだから、相場なんてしないでオネーチャンと恋をするとか、猫と遊ぶとか、そういう好きな事を飽きるほどするんですね。するとなんかいつの間にか上げている事が多いのですね。不思議なんで理由なんてわかりませんよ。世間ではアノマリーなんて言うらしいですね。金になれば他はどうでも良いんでしょ?他に重要な事なんて何一つないんですよ相場師は。
例えばですが、 11.17 8013 128 −6 4.12 145 6ー
11.21 6461 230 −4 2.28 290 3ー 291 1ー
12.11 6361 433 −1 2.20 567 1ー
12.27 4112 353 −1 4.17 466 1ー とかいう風に結果的に利になっちゃたということなんですね。半年ぐらいは時間がかかるんで、こっちがいらいらしてもダメなんですわ。すると暇でしょ?マジに馬鹿暇ですわ。ネーちゃんのパンツ脱がしてまた履かしてなんて時間は腐るほどあるんですね。そのコストと利食いのバランスの芸術なんですよ、相場師は。わかるー? でもわかると出来るは随分違いますがね、、。 こういう説明だとマジ切れする人、飽きれる人、感動する人の比率が経験では 2対7対1 ぐらいが僕の統計である。もう少し切れる人の比率を上げるために更に刺激的な文体はないかと日夜研究しているのだが、なかなかこれ以上、馬鹿らしい書き方というのは知性的な僕には困難である。 |
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