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2007年 4月30日

  Teach us to care and not to care
詩(ポエジー)とは瞬間的な形而上学である。短い一篇の詩作品のなかに、それはある宇宙像と魂の秘密、一個の存在者とさまざまなの対象とを同時に提出しなければならない。もし詩が単に生の時間をなぞるだけのものなら,詩は生以下のものである。それは生の動きを停止させ、喜びと苦しみとの弁証法を即座に生きることによってはじめて生以上のものとなることができる。詩はこのとき本質的同時性の原理であって、そこでは、どんなに散乱した存在、どんなに不揃いの存在もみずからの統一を勝ちとるのである。
 他のあらゆる形而上学的経験が、果てしない前置きをもって準備されるのに対して、詩は前提、原則、方法、証明といったものを一切拒否する。懐疑を拒否する。せいぜいそれが必要とするものは沈黙の前奏くらいである。まずはじめに、うつろな語を叩いて調べながら、それは、読者の魂に思考なりつぶやきなりの連続を残してしまうような散文を、あるいは安手な唄を沈黙させてしまう。次いで、空虚な響きのあとにみずからの瞬間をつくりだす。詩人が連鎖的な時間を破壊するのは、ひとつの複合的な瞬間を築くため、そしてその瞬間に数多くの同時性をかみ合わせるためである。 ..

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21:36, Monday, Apr 30, 2007 ¦ 固定リンク ¦ コメント(0) ¦ トラックバック(0)


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